おはようございます。
もうすぐ85歳になる父の介護の書庫を作りました。
私が介護するわけではありません。専ら母ですので老々介護ですね。
わかる範囲で書きたいと思います。
父は2月に肺炎を患って救急車で日赤に運ばれました。詳しい検査
をすると肺気腫の症状も示していました。なので酸素吸入が始まり
ました。
もちろん入院です。
後から父に聞くと入院中の事はあまり覚えていないということでした。
父の妹夫婦が車の運転が出来ない母を日赤まで連れてきて
くれました。叔母には言葉に言い尽くせないほどお世話になって
います。
カニューレを付けて酸素吸入をして意識の混濁した父は身の置き場
が無いのか、寝返りばかり打っていました。
一時は医師に危ないとも言われたそうです。
二ヶ月ほど入院して無事に退院する事が出来ました。
この時はまだ自力で歩ける状態でした。退院したら車の運転を
するんだと意気込んでいましたが、母が鍵を隠してしまい、結局
車は欲しいという方がいたので譲りました。
通院が始まりました。父の妹夫婦と弟夫婦が交代で病院に連れて
行って一緒に診察室に入って主治医の話も聞いてくれたので母は
心強かったと思います。
その時は覚えていても、診察室から出てきたとたんに忘れてしまう
母ですから叔母はメモをとって、母に医師の説明をしてくれて
いました。
父が入院中は一日おきくらいに私も見舞いに行っていました。
結構車の通りが激しいので運転だけで疲れてしまいます。
洗濯物を持って帰って洗ってまた持って行きます。
母の負担を少しでも軽くと最初の頃は意気込んでいましたが、私も
病気の身ですからなかなか思うようにはいきませんでしたね。
父の意識がはっきりしてからは会話も成り立ち帰り際には握手を
して別れるようにもなりました。
父と握手をするなんてそれこそ何十年振りです。
痩せてゴツゴツした手になってしまいました。
病院食も残さず食べられる様になると体力がついてきます。
携帯用の酸素ボンベを押しながら病院の廊下を歩く練習をしたり
リハビリ専門の方が来て下さりマッサージや体操を教えてもらい、
気が向くとやっていました。2ヶ月の入院生活でした。
退院が決まった時にはほっとしました。
私の自宅からは約25分。交通量が多いので気が抜けません。
自宅に帰ってくるとグッタリでした。
長くなってしまいました。
今回はここまでにしたいと思います。
今日は実家に帰ろうと思っていたのですが、体調がおもわしく
無いのでやめることにしました。
早朝の新4号線はまるで高速道路なみです。
トラックが多くスピードを出すので80キロで走っていてもバンバン
抜かされます。気の抜けない道路です。
今日もいい一日になります様に。